自己紹介=堀内芳昌物語=第2話

堀内芳昌物語vol2 プロフィール
【もくじ】自己紹介=堀内芳昌物語

  • 第1話 幼少期~メンズ&レディースショップで働く
  • 第2話 カフェ開業~運営(←このページ)
  • 第3話 紅茶関連ビジネスの紆余曲折
  • 第4話 CafeCircleを創める

第2話 カフェ開業~運営

カフェ開業にチャレンジ

ファッションの仕事をして10年ほど経った頃(1995年・23年前)に転機がきました。

働いていたレディースウエアの会社がカフェ部門を立ち上げ、社内での移動希望が取られたので、私は思い切って名乗りをあげました。

その時の私は、店長になって数年が経ち、店の売り上げも良く、数店舗を管理する立場になっていました。仕事自体は、とても充実していました。

その状態でなぜ、カフェに移動を希望したのかというと?

前に話しましたが、もともと飲食業を目指しながら、途中でファッション業界に移りました。でも、心の奥には40~50代くらいになったらカフェ(喫茶店)をやりたいという気持ちがあったからです。

その理由にプラスして、この時のタイミングが心に火をつけました。

タイミング

カフェ開業の話があった19年前は、スターバックス日本1号店ができる前の年。その情報はキャッチしていました。ファッションメーカーがカフェをポツポツと出店し始めた頃。後に洋服屋がカフェ併設店舗を作るブームがありました。

日本でのカフェブームなどといわれる前ですが、流行に敏感だった私は、“カフェが流行るのでは”となんとなく感じていました。

おそらく、2年前でも2年後でもやっていなかったと思いますし、レストランでも、ケーキ屋でも、本屋でもやっていなかったでしょう。このタイミングでカフェだったのがチャレンジしようと思った大きな理由になっています。

将来カフェ(喫茶店)をやりたいというのは漠然としたものだったのですが、同じ会社の中でできるのならチャンスじゃないか?という気持ちがあったのは確かです。

洋服の仕事が嫌になって移動を希望したのではないので、ポジティブな気持で新しい仕事にチャレンジしようと思っていました。

反対…

友達や社内の仲間にカフェ事業への移動の話をすると、ほぼほぼ反対されました。「カフェを開きたい」と言ったら周囲から反対されると聞きますが同じ状態かもしれません。中には「軌道に乗せたら洋服に戻してもらえるなら、やってもいいんじゃない」という人もいました。

また、予想外の人間の名乗りで会社も驚いたようです。話し合いの末、失敗しても洋服に戻る気持ちがないくらいの意気込みを分かってもらい、認められました。

会社の企画でスタートしていますが、中間管理職の人間が関わることになったので、一から任されての仕事になりました。もし、希望者がいない、または入社年数の浅い社員だったら外部に頼むつもりだったそうです。

カフェ開業準備

カフェを任された当初は、洋服の仕事の引き継ぎをしながら、約1年後のオープンに向けてスタートしました。

いろいろな手続きや届け出はもちろんのこと、コンセプト作りやメニュー決め、仕入れ先探しや機材の調達なども一人でやりました。

カフェオープンの半年前くらいから、開業準備に専念し、コーヒーの研修を受けたり、料理の練習をしたりしてスキルアップをしました。また、とあるレストランのオーナーからメニュー作りや接客などの指導を受け、レストランでも1か月フルタイムで働き研修(修行)をさせてもらいました。

この時、仕入れ先を決める中で見つけたのが、現在扱っている紅茶。コーヒーは、カフェ開業の指導を受けたレストランの紹介で、当時日本にあまり入ってなかったシアトル系のコーヒー豆を使うことになりました。

イタリア産のチーズやオリーブオイル、無添加のパンやハム、ベーコンを使うなど、材料はこだわりを持って選びました。

この時のこだわりが当時のカフェにとって良かったのか悪かったのかは、今でも答えは出ません。しかし、「自己満足的な無駄なこだわり」は、「飲食業経験の浅い人の犯す間違い」になりやすい。今となれば分かります。

カフェ開業

一年という準備期間はあっという間でした。オープン1か月前くらいまでは期待のほうが圧倒的に強かったのですが、オープンが近づくにつれ不安ばかりが大きくなりました。

オープン数日前に「プレオープン」をしました。社内の人にお客さまになってもらい本番を想定しての練習です。私もスタッフも思ったように動けず、オーダーミスをしたり時間がかかり過ぎたりと惨憺たる状態…。泣きそうになりました。

「正直、無理!」「オープン日を伸ばして欲しい」と思いました。

もちろん、そんなことはできるはずはありません。数日間でできる限りの修正と練習をしました。

正直、喜びよりも心配のほうが断然多くて、「お客様をこなせるのか?」という不安の中、オープン初日を迎えました。

オープン初日が終わった感想は「意外と大丈夫だった(苦笑)」というか、思ったほどお客様が来なかったというのが正しい表現。

暇ではなかったのですが、見込みよりも来客数が少なかった。でも、本音を言えば無難に終わって良かったという感じでした。売上目標を下回ったのですから、もちろん、悪いことですが…。

カフェ運営

カフェオープンに向けて勉強をし、準備をしたつもりでしたが、苦戦しました。思っていた以上に調理作業や接客などができなかった。

自分の能力の低さを痛感したのに、認められなくて部下のせいにしたりしていました…。ここでもまだ、ブラックな私がいました。

カフェの失敗にありがちな「こんなにお客さまが来ないなんて・・・」ということはなく、お客様は“それなりに”来てくれていました。とはいえ、経営計画が甘かったので、構造上利益が出にくい状態になっていました。来客数も計画以下だったので、それを増やすことも必要でしたが…。

修正~売上げアップ

当時は、パソコンが家庭や店舗には普及してない頃だったので、会社に提出する書類なども手書き。そんな時代ですから一つ一つ手作業で見直しをするしかありません。「人気商品を作る。」「他にはないものを作る。」「美味しいものを提供する。」ことを前提にしながら、メニューの内容や原価、ロス、スタッフのシフトや経費などベーシックなことを見直していきました。

一年目の後半から少しずつ改善され、二年目、三年目と段々上向きになっていきました。ただ、原価や作業性の問題で外したメニューのファンだったお客様からクレームというか不満の声が出て、スタッフからも同じような声が出たのは心苦しかったです。

何度か雑誌に取り上げらたこともあり客数がアップ。徐々にリピーターが増えたこともあり、忙しい日には、お昼12時くらいから夕方5時くらいまで満席続きで、待ちのお客様ができることもたびたびありました。

「いつも行列ができている」などの声をいただくようになりました。

その原因は、「美味しかった」「アイディアがあった」「真面目にやっていた」などだと思っていますが、合わせて「立地が良かった」「会社の力」が当然ながら大きかったです。

洋服の売上げをげたことは自分の力としてある程度は自信を持っていますが、カフェの売上げは私の力は少ないです。アイディアを出したくらい…。

洋服の仕事の時は「楽しさ」が一番にありましたが、カフェの仕事は「苦しさ」が一番に来ていました。もちろん楽しくもありましたが、自分自身に対して、スタッフに対して、お客さまに対して、カフェの内容に対して…悩みと苦しみが大きかったです。

今、この時に私にアドバイスができれば、良いことを言える自信があります。残念ながら、時計の針は元には戻せないのですが…。

2号店の出店

カフェの評判は良かったので、三年目に2号店がオープンしました。早くも2店舗目。すごいことですが、私の力ではなく、会社の力です。

本来なら2号店ができて、気持ちを高めて仕事に取り組むであろう時期のはず。ですが私は、2号店の企画の頃から気持ちに変化が起き、徐々に退社を考えるようになっていました。

私は個人的に、2店舗目以降には、もっと飲食の質を上げカフェとしてもレベルアップをしたい、もっと専門的なことにもチャレンジしたいと思っていました。1号店の後半に効率アップのためにメニュー替えをすすめたため、心苦しかった気持の影響もあります。

とはいえ、それで利益が出るのか?という疑問もあり、結局2号店は中途半端な感じになってしまいました。

本来、経営者の立場で考えなければいけないのに、自分のやりたいことを目指していたのは大きな間違いだったと、今になれば思います。2000%目指す方向が間違っています。完全に「ビジネスの視点」が抜けていました。

退社する

しばらくすると、気持ちが前向きにならなくなってきたので、「自分のやりたい方向と違うので辞めたい」という話をしました。

今思えば、会社員が「自分のやりたいことができない」なんて、堂々と言っている時点で間違っていますね。会社の要望をくみ取った上で、自分の力を発揮しけなければいけない立場ですから。この時は、完全に自分中心にものごとを考えていました。

社内にカフェのことを私よりも分かる人がいない、ということで傲慢になっていたのだと思います。もし、「新規事業を任せたのに無責任だ」とか「おまえの考えは間違っているぞ」のような話があれば、少し頭を冷やしたかもしれません。

社長の言葉

最終日に本社に挨拶に行った時に、社長と話をしました。「堀内さんがいなければ、カフェはここまで来なかった。」のようなことを言ってくださいましたが、途中から考え方が食い違ってしまったので、内心は複雑でした。

また、「自営業のほうが好きなことができないんじゃないか」と言われました。その言葉は、今でも思い出すことがあります。

当時は「好きなことやらなくちゃ自営業の意味ないだろう」と思いましたが、今となれば分かります。「自分が好きなことを、自分のためにやるのは、ビジネスではない」という意味だったのでしょう。

社長に対して不信感すら持っていたのですが、やはり何億もの売上げを上げる会社の社長は違います。私の考えの方が遥かに小さく、浅はかでした。

退社し、充電期間に

正直な話、辞める時にまったく未練がなかったと言ったら嘘になります。
辞めなければ良かったとは思いませんが、気持ちの揺れはありました。
そのせいか、辞める前から次の職を探す気にはなりませんでした。

あり余るくらいに時間があり退職金もあったので、次に働くところを探しつつ、セミナーに行ったり、カフェやパン屋巡りなどをしたり、時には短期のアルバイトをしながらしばしの充電をしました。

仕事を探す

カフェを辞めてから一年以上が経ち、仕事の緊張感が恋しくなってきました。と同時に「このまま気軽な生活を続けていると社会復帰できなくなるのでは?」という危機感も出てきたので、本格的に仕事を探しました。

カフェを辞めた時、私にはもっと専門的なことにチャレンジしたいという気持ちがありました。接客サービス、コーヒー、パン、スイーツいろいろと興味はありましたが、一番興味が強かったのが紅茶だったので、東京都内の紅茶専門店または紅茶に力を入れているカフェの求人を探しました。

紅茶やコーヒーに力を入れているお店の面接をいくつか受けました。採用されたお店もありましたが、ほとんどが不採用。よく考えれば30過ぎた男が将来のビジョンも曖昧で採用してくれるわけありません。

その後、新規オープンの紅茶専門店が店長を探していて、採用されました。ただ、条件面で納得していなかったので、再度話し合いをし、辞退しました。

このお店を断ったことが直接のきっかけではないのですが、仕事を探すことにモヤモヤもあり、付き合っていた彼女が住んでいる広島に引っ越しました。

プロフィール画像

次は、妻と出会い広島に引っ越す~現在の紅茶関連ビジネスの紆余曲折≫

【もくじ】自己紹介=堀内芳昌物語